「歴史モノは読まなかった方々にも入りやすい内容になっていると」まんきき40号『キンとケン』しちみ楼先生インタビュー

『キンとケン』書影

時は紀元前──中国、前漢王朝の時代。
史上最も哀しい皇帝=哀帝と呼ばれた劉欣(リュウキン)と
彼を支え続けた官人、董賢(トウケン)の知られざる物語。

教科書を読めば歴史がわかる
しかしそこにはその時代を楽しく、辛く生きた人がいた
「正史」と「面白い」の間に描かれたキャラクターたち
やっぱりマンガって面白い

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――― まずは今作のテーマに驚きました。前漢という時代、そして哀帝と呼ばれた皇帝・劉欣と彼に仕えた董賢という人物、いずれもはじめて触れることになる読者も多いと思います。このテーマはもともと先生の中でご興味があったものなのでしょうか。
まさに【興味のある分野をひたすら掘り下げていった】という感じです。元々、中国や韓国の宮廷ドラマが好きだったのと、純粋に読者としてBLやブロマンス作品が好きで、いつか自分でも描いてみたいと思っていました。いざ自分で描いてみようとなったときに悩んだのは、完全にオリジナルキャラにするかどうか…。そのときにふと故事成語に【断袖】って言葉があったなぁと思い出しまして、そこからその言葉の背景事情であった前漢末の時代や哀帝、董賢について調べるようになりました。当初は哀帝と董賢が仲良く過ごす「宮廷ラブコメ」みたいな感じにしようかなと思っていたのですが、前漢末の歴史を調べていくうちに、その時代がすごく動乱の時代で歴史が大きく動いていく中で皇帝も民も翻弄されていたいうことが分かり、せっかく実在する人物が主人公なのだからできる限り史実も交えた作品にしようと思い、「宮廷ラブコメ」の方針はやめて「宮中での政争とそれに立ち向かう二人」の物語にしました。
――― ブロマンス的という着想はなるほどと思いました。先生がグッとくるメンズの関係にはどんなものがありますか?今作のふたりは荒波に身を寄せ合うような麗しさですね。
ひとつの目的に向かって手と手を取り合って立ち向かっていくような関係性が好きです。最近はまった作品というか歴史書だと『正史 三国志』の孫策と周瑜の関係が好きです。乱世において孫呉というある意味【ベンチャー起業的な国】を立ち上げるべく奮闘した二人の関係性に燃え(萌え?) ます!孫策は割とぽっと出の軍閥の若きリーダーで、周瑜は代々続く名家の生まれという対照的なバックグラウンドを持つ二人が目的をひとつにするというあたりにすごく魅力を感じます。
――― 話の合間に「勉強コーナー」を設けるなど読者にこの時代のイメージをもってもらうことに心配りを感じます。言葉選びも「モラハラ」や「パパ活」など現代的なところを用いていることで作品に入りやすいです。
自分も含め前漢末という時代についてわからないことだらけだったので、まず読者さんに「難しい!」という印象を与えたくないと思い、敢えて現代風の砕けた表現を使いました。背景をよく見ると観覧車があったり、原付に乗ってる人物などがいたりするので、【あまり馴染みのない時代の歴史マンガ】ではあるけれど堅くならずコミカルなエンタメ作品として楽しんで頂けたらと思っております。勉強コーナーに関しては作中で説明不足かと感じた部分を別枠で紹介しています。本編を描くにあたって調べた内容を読者さんにもシェアして【難しくないよ!一緒に楽しもうよ!】というのがコンセプトです。…とはいえ自分は漫画家であって歴史の専門家ではないので「間違っていたらどうしよう!!」と毎回ヒヤヒヤしながら描いてましたねw いまもヒヤヒヤしています!!!
――― 前作『ピーヨと魔法の果実』からは絵柄の印象がガラリと変わりました。これだけの引き出しはどのようにして得られたのでしょうか。
いつも新しいマンガを描こうと思った時に、まず頭の中で「その作品のアニメ」が断片的に放映される(イメージが浮かぶ) のですが、アニメって作品(番組) によって絵柄が違いますよね。そしてどの作品もその世界観と絵柄がぴったりマッチしていると思うのです。私は作品の世界観と絵柄のマッチって、物語を読み進める上で読者さんに違和感を感じさせないという意味ですごく大切なことだと考えておりまして、まず頭の中で浮かんだアニメ(イメージ) の絵柄をできるだけ忠実にマンガとしてアウトプットしようと心がけています。その結果、絵柄がガラッと変わるという現象が起こるのだと思います。手癖で描けないので時間がかかるのですが、完成イメージを紙に描けるようになるまでひたすら練習する…という謎の工程を経て絵柄の選択を行なっているという感じです。
――― 今作の絵柄はすごく目に易しいというか、導入しやすいという印象です。
前作の『ピーヨ』はブラックジョークの効いたホラー絵本みたいなコンセプトだったので、割と描き込みを多くして怪しい蟲がモゾモゾ涌くような…有機物的な画面作りを目指していたのですが、今回は【前漢末というあまり馴染みのない時代を題材にした歴史漫画】を描く上で、とにかく堅苦しくならないように、できるだけ描き込みを抑えて、『ピーヨ』とは対照的に無機物的な記号っぽいキャラ造形にすることでライトで読みやすい画面作りを心がけました。
――― アニメにもよく親しんでおられるのでしょうか。
実は普段漫画よりアニメを観ることが多くて、作業中にBGM的に延々とアニメを流したりしています。アニメを観ていると場面転換やカメラアングルなどがとても工夫されていることが分かりまして、漫画制作におけるコマ割りや構図作りの参考にしています。『キンとケン』においてアニメの影響を受けている構図を例に挙げると…背景をわざとピンボケにしているシーンが沢山あるのですが、あれは奥行きを出したり、ピントの合っているキャラに視線がいくようにアニメの手法を真似しています。
――― アニメ作品で演出に思い出深い作品・シーンはどんなものですか?
押井守監督や今敏監督のアニメが好きなのですが、攻殻機動隊のスピンオフ作品『イノセンス』と『パプリカ』にはものすごく影響を受けました。イノセンスにもパプリカにも「おもちゃの行進」みたいなシーンがあって、とにかくポップなのに禍々しくそれでいて神々しいという【終わらない悪夢】的な雰囲気が大好きで、第4話の祭祀の場面は完全にあの雰囲気のパク……オマージュです!!!また、今敏監督の作品は平沢進さんの楽曲がよく使われているのですが、作業中にもよく『パプリカ』や『妄想代理人』のサントラを聴いていました。
――― 今作が描く当時の資料/史料は豊富なのでしょうか。また参考にしている書籍があれば教えていただければと思います。
哀帝と董賢は故事成語を残している割には資料が少ないんですよね。それゆえに色んな資料をつまみ食いすることになり、参考文献が膨大になってしまいました。そもそも歴史漫画を描くということ自体が全く初めての経験だったので、まず「どの資料が資料として使えるか?」という選別が難しかったです。参考にしている書籍はまず正史である『漢書』(ちくま学芸文庫) です。これは後漢の時代に班固(とその一族) が前漢時代の記録をもとに編纂した歴史書で、各皇帝の時代に起きた事件やその事件に関わっていた人たちの事柄が簡潔に書かれているので、制作の上での土台になりました。あとは『王莽 儒家の理想に憑かれた男』(白帝社) です。王莽の資料は哀帝・董賢に比べると意外と存在していまして、王莽の資料を通して主人公二人やその時代を垣間見ることができたように思います。
――― 劉欣が宮廷をこっそり抜け出し董賢の家族を訪ねるエピソードが心に残りました。史実と創作の塩梅が難しいところだと想像するのですが、気にかけていることはありますか?
「劉欣が董賢の家族を訪ねるエピソード」は全く漢書には記載のないオリジナルエピソードなのですが、哀帝の前の皇帝・成帝の時代に成帝が仲良しの臣下と一緒にお忍びで街に出て遊んだという記録があるので、もしかしたら哀帝もお忍びで遊びに出かけたこともあるかもしれない、と思って描いたエピソードです。漢書の記載内容をベースにしつつ【もしかしたらこんなことをしていたかもしれない】という想像を膨らませて描くというのが本編制作の基礎となっています。なので、史書に無いオリジナルのエピソードとは言いつつも、あまりにもぶっ飛んだ内容(劉欣と董賢がアメリカ旅行する!!!!とか) にはせず、他の時代の人物の言動や思想(儒教などの価値観) を参考にしつつ、【このくらいならありそう】な範囲の出来事を捏造(!) して挟むくらいのさじ加減にしました。
――― 『キンとケン』からさらに後の時代についてもマンガ作品が少なくなっています。様々な資料にあたられるなか、先生の中で他に描いてみたい時代・人物などはいかがでしょうか。
やはり先ほど挙げた後漢末~三国時代の呉を舞台にした孫策と周瑜の漫画を描いてみたいです。あとは唐の時代になると李白や杜甫、孟浩然といった詩人が活躍する時代になって、その頃ってすごく華やかだったんじゃないかな?と思い、興味があります。あとは『キンとケン』より前の時代になりますが、孔子とその弟子たちの関係性も好きなので、孔子達が活躍した春秋時代の漫画も描いてみたいところです。
――― 今作の連載については担当編集さんからのお声がけなのでしょうか。打ち合わせではどんなことをお話されましたか?
もともとツイッターやpixivで『キンとケン』のプロトタイプ的な漫画を3話分公開していて、割と反響が良かったので「商業連載いけるかも知れない!」と思って何社か持ち込みをさせていただいたのがきっかけです。それで一番早くお返事をくださったのがマトグロッソさんで、しかも担当編集さんが中国史や中国語にお詳しい方だったこともあって、連載に向けて色々ご相談させていただいたという流れです。プロトタイプの『キンとケン』がちょっとエロいコメディ漫画だったのですが、この先どう展開させていくか悩んでいた部分がありました。連載前の打ち合わせで相談したところ担当さんが「むしろエロ無しのシリアス路線で大河ドラマとして描いた方がいいかも?」とアドバイスしてくださり現行バージョンのストーリーになりました。
――― Twitterを拝見するといま『源氏物語』にも触れておられるご様子です。単純に比較できるものでもないですが、日本史だとどういった部分に面白さを感じますか?
源氏物語』は作業中に朗読を聞いている感じですね。現代人の感覚ですとちょっと光源氏の言動が許せない気分になるのですが、当時の人たちの価値観ではあれが素敵だったのかな……などと色々気になるところでございます。あと、私恥ずかしながら日本史は全く詳しくないです!!!ですが…少し前に『古事記』を読んだときにとても素朴な印象を受けました。ウサギやカエルの神様がいたり、オオクニヌシと小人のスクナビコナが旅をしながら(ときに糞便を漏らすなどの大失態!?もやらかしつつ) 国を作ったりと…神話時代の話なので日本史???といった感じではあるのですが、そこはかとない素朴さにほっこりしました。全体的に妖怪チックでかわいいですよね日本の神様。
――― 単行本表紙のカラーがとても素敵です。色使いでこだわっているところを教えていただきたいです。
今回は「歴史・中国・宮廷」の雰囲気を出すために日本画用の絵の具を使って和紙に描いたものをデジタルで加工しました。少しくすんだ落ち着いた色合いでまとめつつ、宮廷のゴージャス感も出したかったので着物の柄を細かく描き込みました。表紙のキンが着用している服は冕服という古代中国の儀式で着用されていた服で、『礼記』という本の図版を参考にして日や龍、北斗七星、鉞などのモチーフを入れました。伝統的な画材で描くことで歴史っぽい風合いが出たんじゃないかと思っています。
――― 先生の作画環境について教えていただけますと幸いです。
ネーム、下書き、ペン入れまではアナログで作業しています。ペン入れはスクールペンという細くて均一な線が引けるペン先を使ってケント紙に描いています。ペン入れまで終わったらスキャナで取り込んでクリップスタジオというソフトでベタや陰影をつけたり吹き出しを入れたりしています。前作『ピーヨ』はペン入れからほぼ完成まで水彩画用紙に絵具で描くことで絵本っぽい雰囲気を出していましたが、本作は少しメカニカルな作画にしたかったのでデジタルの作業工程を増やしました。
――― 影響を受けた漫画家さん、イラストレーターさんを教えて下さい。
ネーム制作など画面のコマ割りや構成は外薗昌也先生(編注:ホラー作品で知られる。代表作に『鬼畜島』など) の影響を受けました。外薗先生の作品って本当に読みやすくて、なおかつ次から次へとページをめくってしまう「読み手を作品に没入させる吸引力」があるように感じていて、自分もそんな吸引力のある漫画を描けるようになりたいと日々精進しております。絵柄に関しては、そのときどきで色々なので自分でもどなたの影響を受けているのかよくわからなくなっているのですが、葛飾北斎がサラサラっと描いたようなクロッキーとか、琳派の草花などの、モチーフがデザイン化された日本画とか、少ない線で単純化・記号化された絵が好きです。
――― マンガを描きはじめたきっかけや、先生の小さな頃のことを教えて下さい。紙や画材への取り組みから元々は絵画の畑におられたのかなと想像するところです。
おそらく物心ついた頃にはチラシの裏に絵を描いたりしていたような気がします。はじめて漫画を描いたのは小学生の頃、学級新聞で”ミンちゃんとボーとカメさん”というタイトルの4コマ漫画を連載(?) していました。確か……エビフライの恐妻ミンちゃんと、ミンちゃんに翻弄されるムツゴロウの旦那さんボー、そして年長でボーの相談役のカメさんが出てくる日常系漫画だったと思います。今思うと、何故その題材で書こうと思ったのかさっぱりわかりません!!中学に入ってからはV系バンドが大好きで、CDジャケットの模写などしておりました。その後高専に進学してからは就職氷河期ってこともありお絵描きは封印して勉強とバイトに勤しんでおりました。就職してからもずっと絵は描いてなくて、10年くらい会社員をやったところで結婚&夫の転勤を機に勤め先を退職したのがきっかけでお絵かきや漫画を再開した感じです。なので基本的に独学で、絵画を学問として履修したことが無いんですよね…いつかカルチャースクールとかに行ってデッサンから勉強したいところです。
――― いま読者として熱を上げている連載作品(マンガ)があったら教えてください。
読者として純粋に楽しんでいるのは霧隠サブロー先生の『魔装番長バンガイスト』(リイド社/LEED Cafe)とジェントルメン中村先生の『セレベスト織田信長』(リイド社/LEED Cafe)です!両方とも所謂『魁 男塾!』(宮下あきら/集英社)的な拳で語る男漫画といった感じで、無骨な線で筋肉モリモリのキャラ造形…支離滅裂なようでどこかほっこり優しいストーリー…毎回楽しく拝読させていただいております。(ああいう漫画、私も描けるようになりたいですよ!憧れる!)
――― 正史としては悲しい行く末も見えている物語ですが、ここからの展開を描くにあたっての抱負をいただければと思います。
歴史フィクションとはいえ、正史に沿った内容にしているので、『漢書』の結末を覆すような展開にはならないですが、それでも読者さんにとっても、私にとっても、そして主人公ふたりにとっても納得のいく終わり方になればと思います!!(実は三月現在すでに完成していて、あとは4月の公開を待つばかりなのです!)
――― 最後になりますが、はじめて作品に触れる読者の方に一言お願いできればと思います。
中国の歴史漫画で、しかも紀元前のマイナー皇帝!という少々堅そうな題材ではありますが、三国志や水滸伝等の中国史ファンの皆さんはもちろん、今まで歴史モノは読まなかった方々にも入りやすい内容になっていると思うのでぜひぜひお手にとって頂ければと思います!また、拙作きっかけで『漢書』や『史記』、『詩経』や『尚書』といった中国の古い書物に興味を持ってくださる方が増えたら作家冥利に尽きます。
しちみ楼先生、ありがとうございました!
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